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send “法人の山一”名門復活目指す 自主廃業20年、元社員がM&A助言の証券会社

2017年11月24日 金曜日

元山一証券社員で、“新”山一証券社長の立川正人氏=東京都千代田区   旧四大証券の一角だった山一証券が巨額の簿外債務を抱えて自主廃業に追い込まれてから24日で20年。会社は消滅して社員は散り散りとなったが、その「山一証券」の商号で企業向けにM&A(企業の合併・買収)の助言を手がける証券会社が東京にある。社長で元山一社員の立川正人氏(73)は、山一破綻を教訓に「企業は追い込まれても、最終的に残ることに意味がある」と強調する。 ブランドの力を実感 東京・神田の雑居ビルに“新”山一証券はある。立川氏らが2004年に設立した「IBS」が05年に「IBS証券」、11年に「IBS山一証券」となった後、14年に「山一証券」に商号を変えた。社員の名刺には、山の形に横一文字をあしらった往年の山一のロゴが印刷されている。社員は現在20人で、うち5人が山一出身者。10年ほど前は、約100人いた社員のうち約6割が元山一社員だった。 立川氏は1967年に山一に入社。個人向けの企画部門や海外駐在を経験し、自主廃業となる約10年前の87年12月に、営業企画部次長を最後に山一を辞めた。山一が破綻した最大の原因は、含み損を抱えた有価証券の「飛ばし」で損失処理を先送りし続けた結果、簿外債務が約2700億円に膨らんだことだ。立川氏は、山一では自身の在籍時から飛ばしが横行していたと振り返る。当時は課長だったが、「飛ばしは認められない」と指摘すると、社内でにらまれたという。 「二度と山一の門をくぐるな」。後に社長や会長を歴任し、粉飾決算などで有罪判決が確定する行平次雄氏(故人)から、立川氏は退社時にこう言われた。

追われるように山一を去った立川氏だが、長い年月が過ぎたことで「(当時起きたことは)もはや過去の話。逆に、100年も続いた山一のブランドはすごいなという思いが強い」と語る。商号を山一証券に変えるにあたっては、山一の創業家やOB会「山友会」を回り了解を取り付けた。

会社は存続してこそ かつて山一は「法人の山一」と呼ばれ、多くの上場企業を顧客に抱えていた。立川氏が率いる“新”山一は、国境をまたぐM&Aや非上場企業の事業承継に関するM&Aの助言業務に注力する方針で、「法人の山一のブランド復活に力を尽くしたい」と意気込む。 山一の自主廃業は、同じ97年11月に起きた準大手の三洋証券や都市銀行の北海道拓殖銀行の破綻とともに、日本の金融危機を象徴する出来事となった。関連会社を含めて1万人超いた社員は路頭に迷った。 立川氏は「会社がなくなると、社員の大半は不幸になってしまう。だから、存亡の危機では最終的に存続することが重要」と言葉に力を込める。現在のM&A助言業務にもそうした視点を生かしているという。(森田晶宏)

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