就活支援ジャーナル

send 就活生応援メッセージ「創刊男」が語る仕事術

2015年5月21日 木曜日

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 中央大学法学部を卒業後、出版社編集部でのアルバイトを経て、1978年、25歳で日本リクルートセンター(現・株式会社リクルートホールディングス)にアルバイトとして入社したのが、私が編集者として最初の一歩を踏み出した瞬間でした。脇目も振らずに仕事に打ち込み、翌年に社員となって以来、情報誌を創り続けてきました。
 私を突き動かしたのは、「世のため人のためになる新しいメディアを創りたい」という思いです。入社当時、リクルートの事業の成り立ちを先輩方から教わりましたが、いずれも立ち上げから「3年以内の単年度黒字」が事業の成否を分ける目安だと知りました。そこで、自分の思い込みにとらわれず、「人の喜ぶロマンを事業にする」「いつまでに結果を出すかのソロバンを決める」ことを、仕事の進め方として徹底しようと決意しました。
 その手段の一つとして、誌面づくりのために膨大なヒアリングを行ってきました。例えば、私が副編集長として携わった若者向けアルバイト情報誌『フロム・エー』ではたくさんの高校生・大学生に直接話を聞きました。ヒアリングを通し、読者が既存のサービスに対して感じている不満を把握し、その真逆の解決策を誌面に落とし込むことができるようになりました。
 当時の経験を講演会などで話すことも多く、「どのくらいの人数にヒアリングをするのか」という質問に対して、「500人・回」と答えています。人数だけを聞くと、途方もない数字のように感じられますが、まずは、友人や家族、恋人など、身近な存在から聞くこと。同じ相手であっても、聞くタイミングなどによっては答えが変わるため、そういった内容もカウントするのです。私は恋人に聞いていました。集めた「声」をもとに何度も「ブレインストーミング」を行います。結果としての大きな“ソロバン”につながる、“ロマン”に満ちあふれた商品像が浮かびあがってくるのです。

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 もちろん、新しいものを創るのは簡単なことではありません。『フロム・エー』は創刊当時、同様の情報誌を発行していた他社がその市場をほぼ独占していたため「こんな情報誌に広告を出しても効果は出ないだろう」とクライアントには思われていました。また、リクルートは「誰もやらなかったことをやる」ことで発展してきましたから、「後発」に対する社内の反対意見も大きかった。事実、発行当初は3万円という広告スペースに対し、ある企業からは、「100円なら載せてもいい」と言われてしまう有様でした。そうした環境でもあきらめず仕事に取り組み続けました。
 突破口となったのは、ポップな音楽雑誌のような装丁で、カルチャーに対する感度の高い若者の心に響くような記事を随所に盛り込む方針に舵を切ったことです。これがヒットして『フロム・エー』は注目を浴び、やがて発行部数や売上でも他社を追い抜くまでに成長を遂げることができました。
 2周年パーティーを催したある夜に、リクルート創業者の江副浩正氏がふらりと現れました。スピーチを頼むと、「先行メディアがあったからずっと反対してきたが、『フロム・エー』はすでにあるものを新しいやり方でやったからこそ成功した」と、コメントをくれました。30年以上経った現在でも深く印象に残っています。

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 98年のリクルート退職後は自分で会社を立ち上げました。現在は経営コンサルタントや講演、執筆を主に行っています。自分が体得してきた仕事の仕方や事業の組み立て方を、若い世代に伝えていければと思っています。
 特に、就職活動については、有名企業や一部の優秀な学生ばかりが得をする現在のシステムを脱して、双方がより自由に出会える世の中を目指していきたい。
 例えば、私が理想とする就職活動とは、「大学の入学式が終わったその日から企業は学生と接触しても良い」といった仕組みです。学生と企業の採用担当者がお互いの情報を交換し、双方の相性が合えば、在学中であっても内定を出す仕組みがあれば、学生生活にも良い影響をもたらすでしょう。もちろん、在学中ですし、企業も経営状況によっては採用計画が大きく変わります。時には内定を取り消したり、学生から内定を辞退したりといった自由なスタイルが確立すれば、多くの学生と企業にチャンスをもたらすと考えています。現在のように、大手・有名企業のみにエントリーが殺到するような不均等な構造ではなく、より公平で“自由恋愛”のような就職活動の在り方が検討されるべきでしょう。その一歩として、若者のみなさんも、学歴に臆せずどんどん挑戦して欲しいと思います。

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